ユグドラシル

Youtubeに動画を投稿しています。主に家の庭や園芸で重要なテクニックについて話しています。

なぜバラ栽培は難しく感じるか

私は園芸のサイトは回ってみていますが、よくありそうなテーマとして、「なぜバラ栽培は難しいと感じるのか」といったことが、テーマになっていますが、私も気になるフシがあるので書きます。

 

よくバラ栽培が難しい要因でありそうなのは、「害虫が厄介」「肥料が好きで日光が好き」「病気が多い」「テッポ虫やコガネムシでお陀仏になる」「剪定が難しい」などいろいろな意見があります。どれもあっていると思うし、間違っているとは思いません。

 

だけど私は、もっと根本的な原因として「溺愛」があると思っています。「完璧主義」と言い換えても問題ないです。

 

つまりあまりにもバラを大事にしすぎることが、難しくしている要因ではないのかと思うことがあるのです。「うどんこ病だ」「黒点病だ」「アブラムシだ」「カイガラムシだ」など、騒ぐ気持ちはわかります。

 

だけどバラというのは非常に丈夫な木であり、よほどのことがない限り、これらが原因で死ぬことはまずないです。ただしコガネムシとテッポウムシだけは致命的になる可能性をもっているので、そこだけは注意が必要です。もちろん複合的な理由でダメになることもあるし、癌腫などでダメになることもあります。だけど、ダメになることが分かっていないのに、騒ぎ立てるのがますますバラを難しくしている空気を作る原因ではないかと思うのです。

 

その根底は溺愛です。あまりにも大事にしすぎるがゆえに、バラ栽培を難しく見せているのではないかと感じるのです。

 

確かに黒点病やうどんこ病によって、思うように花が咲かないかもしれませんし、満足に葉っぱが育たないかもしれません。だけどバラはすぐに、新しい葉を出します。花も咲かせます。もし今年がだめでも、葉を坊主にしても、来年になったら花を咲かせてくれます。人間なんかよりもずっと信頼できます。だって約束を守ってくれるし、バラが花が咲かないのは外的な原因がほとんどであるからです。

バラを大事にしたい気持ちはわかります。だけどもう少し、バラから離れる覚悟、いやバラを信頼してみてください。今がだめでも、これからたくさん咲くかもしれませんし、来年はうまくいくかもしれません。仮にあるバラが芳しく無くても、他のバラはうまくいくかもしれません。

薬剤の定期散布なんかもそうです。やれローテーションだの、やれ希釈倍率だの、やれ○○系薬剤だの、そんな風に難しく考えるから、バラは弱るのです。これも溺愛が根底にあります。「絶対に良い花を咲かせたい。」という思いです。だけどバラは生き物だし、うまく行くこともあれば、うまくいかないこともあります。

 

あと定期散布が面倒なら、それをしなくてもいい品種で固めるべきです。私もローテーションについては真剣に考えていた時期はありました。だけど結論としては、定期散布にこだわらないことにしました。全くしないわけではありませんよ。虫や病気が発生しそうなとき(主に6月から9月くらい)に、オルトランを撒いたり、スプレーで散布する程度です。それも年に2、3度程度です。

水やりだけは注意してください。流石にバラでも乾燥させては死んでしまいます。そこだけは注意です。中々水をやる暇がとれなかったら、思い切って地植えにするなり、大きな鉢にするなり、あまり大きくならない品種を選ぶなり、いくらでも算段はとれます。切り戻しも有効手段です。俺の場合、8月くらいに思い切って剪定することがあります。

そんな事言うと「鉢を大きくすると水はけが悪くなる」なんて言う方もいるかも知れませんが、乾かして死なすよりはずっとマシです。むしろ水はけが良いことが裏目に出ることもあります。黒土だって、水はけをよくする要因を作れば問題ありません。それにバラというのは根張りが非常に速い植物です。よほど土が悪くなければ、水持ちが良い土にするのもありだと思います。俺は年に一回植え替えるのが面倒だから、新苗だと八号鉢くらい、大苗だと思い切って十号鉢以上で植えています。

 

剪定が難しいのも難しく感じる理由です。だけど剪定があっていようが、間違っていようが、よほどのことがない限りバラは死にません。死んだらそこまでのバラです。もちろん樹勢が弱いバラは、慎重に育てるべきであるのもありますが、その場合は大きくなるのを様子を見れば良いのです。

函館では冬剪定は行いません。秋以降は花がら摘み以外はほとんどしないです。まだ9月だから、もう少し剪定することはありえますが、だいたいは8月くらいで終えます。そして冬になり、雪解けになって芽が出始めたら様子を見て剪定するのです。そのとき、冬越しで枯れてしまった枝や弱々しい枝が出てきます。そういった枝を切るだけでも、かなり剪定をしたことになるのです。つまり弱い芽は切り落とし、強い芽を残すのです。自然に任せるだけでも、かなり剪定したことになります。剪定はもっと自然の声を聴くべきです。そこには溺愛が介入する余地はありません。

残りは人間の都合です。目的に沿って、バラの品種に合わせて剪定します。品種によっては人生の傾向が違います。樹勢が強いバラは大きく切るべきだし、弱いバラは軽く切るに留めます。

なんかこう見ると夢が壊れると思われるかもしれませんが、現実はそんなもんです。自然はどうなるかなんて分かりません。なので大事なことは、その変化に臨機応変に対応することが重要です。

「まぁ夏やられたけど、秋咲いてくれたらラッキーだな。」「今年は春はうまくなかったけど、秋は咲いてくれた。二季咲きくらいだしまぁいいか。」「来年は頑張ってくれよな。」といったバラを信頼することが重要ではないのでしょうか。